ホームレス留学生

家なしの留学生がお届けする雑記ブログ。

願書忘れたり、留学したり、過食症になったり、ブログやったり。【自己紹介】

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こんにちは、ホームレス留学生のマサです。

今現在、アメリカのNY州にあるストーニーブルック大学に現役留学中です。(今は夏休みで日本)

 

今回は私の留学することになった経緯と、今までの歩みについて。

 

きっとこれを読めば、いかに勉強が大事かわかるはず!ちびっこのみんなは見るんだぞ。

そして、こんな馬鹿でも留学に行けるのだと紹介したいのです。

※かなーり長くなったので、ツッコミどころが多そうなところだけピックアップして見てくださいな。

 

 


2012年 8月 留学どころか勉強さえ縁のなかった高校生活

 

高校まで、ずーーっとスポーツ野郎でした。剣道を小学校3年生からやっており、ある程度全国区で結果を出せていました。

平日も剣道、土日も剣道、まさに寝て覚めても剣道生活だったわけです。

 

学生時代一番多く使ったワードランキング

1位 (`ڼ´) <メン

2位 (`ڼ´) <コテ

3位 (`ڼ´) <ドウ

4位 (´;Д;`)< 今日練習何時に終わるんすか?

 

 

「勉強?ダッセー。勉強してるやつなんてキモいやつばっかだろ」(本気で考えてました)

こんなことずっと思って、勉強の"べ"の字もなかったくらい、脳みそスッカラカンでした。

今思えば、よくこの時の馬鹿が今の学校に行けたなと思います。

 

2012年 9月 消えた大学のスポーツ推薦

 

事件は、9月5日の朝の7時42分に起きる。(今でも覚えてる)

 

この日は、文化祭の日でした。たしか唐揚げを売る予定だったのです。

すでにスポーツ推薦で大学が決まっており、これから遊んだるでえええ!と鼻息を荒くしてた頃。

 

先生から、メールが。
「ちょっと進路のことで話があるから、文化祭前に寄ってくれ」

 

なんか…嫌な予感する。

「なんだろ?何かあったのかな」

と先生の元へと行くと……

 

 

「推薦の願書、締め切り二日前だったけど……やっぱお前提出し忘れてるよな?」

 

 

(*´-ω・)ン?ほわっと?

 

 

 

とぅでい、日付、9月5日。

推薦の願書提出期限、9月3日。

 

 

(ノ≧ڡ≦)願書出すの忘れてた☆てへぺろ☆☆

 

 

こうして、私の大学スポーツ推薦は、消え去りましたとさ。
ちゃんちゃん。

 

 

(当時は人生終わったと思って本気で絶望してました)

 

2012年10月 突如ひらけた留学への道

 

スポーツ推薦が消え、行き場を無くした私。

 

。・゚(つωஇ`)。゚・。シクシク 「うえーんもう俺どこにも行けないやーい」

 

父「アメリカ留学行ってみるか?親戚がおいでって言ってるけど。まぁお前英語力ほぼ皆無だし行けるわけ…」

 

ヾ(;゚;Д;゚;)ノ゙「イギダイッ!!!!(即答)」

 

この時は、藁にもすがる思いでした。

とにかくアメリカに行けば何かが変わるはず

そう勘違いしていたのです。

ほんとね、人間切羽詰まると何をしでかすかわからないですね。
逆に言えば、追い詰められなければ、リスクを背負えないのかもしれない。

 

2012年12月 ドキドキのVISAの面接へ

 

留学準備期間で何が一番大変だったって、VISAの面接ですよ。

アメリカに入国する際、その人がアメリカに入国しても大丈夫なのかを判断するのが、大使館での面接です。その面接で怪しい行動をすると、VISAがおりなくなって、そもそも留学できないという自体になりかねません。

当時辛かったのが、面接が全部英語だったこと。

 

面接官のおじさん(コワモテ)「Where are you going?(どこ行くの?)」

(゚Д゚;)「ほ、ほわっと?すたディ?」

面接官のおじさん(不機嫌)「hu...(ため息)」

(゚Д゚;)「そ、そーリー、あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅいぇっと」←このフレーズだけ練習してきた

面接官のおじさん(呆れ顔)「Next」

(゚Д゚;)「ば、ばーい、センきゅーべりーまっち」

 

あーやばい。

(´;Д;`)落ちたかも。

 

結果、受かってました

 

Visaの面接では、よほどのことがない限り落ちることはないとわかりました。

だから、皆さんも面接の際は、ふつーにしておけばいいのです。

 

 

2013年 3月 英語の先生に「あんたアメリカで終わるよ?」と言われる

 

英語の先生「アメリカの大学に出願するために、英文の自己PR文書かないとダメよ」

ホームレス「え、英文でですか?」

英語の先生「もちろん。アメリカでしょ」

 

え?

 

え…英文……だとぉっ?(遠い目)

 

当時 I don't like food (意味不明) くらいしか英作文ができなかった私がとった行動は、

Google翻訳で丸ごと翻訳して貼り付けるという暴挙に出ました。

 

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Google翻訳使ったことある方おられると思うのですけど、あれってとんでもない翻訳になりますよね?当時、辞書も引いたことなかった私は、そんなことすらもわかりませんでした。

 

後日、英語の先生のところへ持っていくと

その一行目を見るなり

 

( ;-`д´-)「あんた、アメリカで終わるよ」

(・∀・;)「マジっすか」

 

そりゃそーだわ。

ちなみにこれが当時の問題の英作文。存分に笑いたまえ。

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2013年 5月 出発する空港で家族一同ボロ泣きする & 留学開始

 

出発当日。地元の親友と、家族一同が空港までお見送りに来てくれました。

空港へ向かう車の中から、母はすでに涙声。

(´;Д;`)「ま、マサユキ(本名)、ちゃんと洗濯できる?」

    「や、やれるよ、大丈夫」

(´;Д;`)「着いたら連絡するんよ?」

    「もちろんするする」

(´;Д;`)「ご飯ちゃんと食べるんよ?」

    「太らないよう気をつけるわ」

母が泣きそうになっているのを見て、私もすでに涙目。

運転する父も空港へ向かう車内で、全く喋らない。

 

空港につき、チェックインを済ませ、もう飛行機に向かわなくてはならない時間になりました。

別れの時です。友人たちとハグを済ませ、家族一人一人と握手をしていきます。

 

(弟1)「いってら〜」

     「おう (コイツ別れの時なのにぼーっとしてるな)」

(弟2)「じゃあなあばよ」

   「おう (ちょい泣きそうだな。俺も泣きそうかも)」

(お婆ちゃん) 「まさゆきさん、頑張ってください。ババァは応援しております」

      「うん (あ、待って泣きそう)」

(父さん)「……頑張れ。お前が無事に帰って来てくれたらそれでいい」

    「行ってくるわ (泣きそう泣く泣く)」

 

そして問題の母。

 

()「(手を握りしめて) 頑張ってね……!本当に!本当に!」

  「うん。ありがと頑張るわ」

() 「はああぁあああぁああぁ……(号泣)」

    「大丈夫大丈夫、なんとかな…」

 

(;´༎ຶД༎ຶ`)()「マ、マザユギィィィィイィ」

 

(;`・ω・)ノ おおおおおおう汗

 

公共の場で大の大人が大声で泣きじゃくる姿と迫力に、思わずあとずさりしてしまう。笑

 

別れた後も、空港の屋上で見送ってくれていたそうです。

「絶対に結果を出さなければ」

そう心に強く誓いました。

 

2013年 6月 英語のクラス分けテストで12段階中ドベから2番目

 

シカゴの語学学校に入学しました。

到着して一週間ほどしてから、学校生活が始まります。

この時は、絶賛ホームシック中。笑毎晩枕を濡らす日々。あぁ女々しい。

 

そして、迎えた運命の英語のクラス分けテスト

私は語学学校に入学し、そこで一定のレベルに達したら大学に入れます。

 

「きっと大丈夫!渡米前に頑張って毎日1時間勉強してたもの!」(当時は1時間勉強でも本人に取ってすごかった」

 

12段階のレベルがあり、9レベルを越えれば大学に入学できる証明書をいただけるわけです。ひと月ごとにクラスアップしていきます。つまり仮にレベル7スタートだった場合は、2ヶ月後にレベル9に行けて大学に入学できるということ

 

結果は、まさかの
レベル2スタート。

 

(;゚д゚)遠っっ!!!

 

2013年10月 とにかくどこかへ行きたくなってカリフォルニアへ

 

順当にレベルを上げ、この時はレベル6でした。あと3ヶ月頑張れば大学入学です。

死ぬ気で食らいつき、学校にいても帰っても勉強していました。

勉強していないと、家族への責任感と、今の自分への劣等感でおかしくなりそうだったからです。

でも、実際に英語力が伸びているかというと疑問でした。

ある程度文法も単語も理解できるようになってきたけれども、少ししか話せない

スピーキングがてんでダメ。

 

ここで、書くこと聞くこと読むこと、そして話すことは、それぞれ独立した全く別のスキルだと気づき始めるわけです。

 

でもこの時の私はまた、

「頑張ってるのに話せないのは環境が悪い。どこか別の場所に行きたい」

と考え始めるのです。

 

ほんっと、甘いですよね。

 

 

2013年11月 ホームステイ先でいじめられる &  過食症との戦いの始まり & 15キロ増量

 

幸い、その語学学校はアメリカ中に点在しており、移動するだけなら何も難しい手続きは必要なく、簡単にムーブアウトできました。

選んだ先は、カリフォルニア。

理由?

 

「あったかそうでよかったから」

 

事実、私が当時いたシカゴは、気温が氷点下になるくらいとても寒い場所でした。

モチーベーションが下がり始め、寒さに負けた私は、とにかくそこから出たいと思ったのです。

 

結果、これは失敗でした。

 

問題が、ホストファミリーとのいざこざでした。

話が長くなるので端的に話すと、
私の当時のコミュ力が低すぎたせいで、カリフォルニアのホームステイ先のホストファーザーにいじめられました。

 

「おいおい、日本人は協調性があるって聞いたけど?」

「飯食わねえなら来るな」

「お前は何考えてるのかわからん」

「物音を立てるな。日本人だろ?」

「英語話せなすぎだ。他の奴を見てみろ。もっと勉強しろ」

「お前が後3ヶ月も家にいるのかと思うと俺は耐えられない」

 

本当に、頭が狂いそうでした。当時は100%私が悪いと思い込んでいて、かなり辛かったです。

 

そんなストレスで充満した私が逃げた先は、食べ物でした。

ホストファミリーのガレージに、大量のジャンクフードの備蓄があったのです。

私は夜な夜なそこに忍び込んでは、吐きそうになるまでバカ喰いするという毎日を送っていました。

食べても食べてもお腹が満たされないのです。

ネットで調べると、どうやら俺は過食症らしい。そしてそれは、心の病気らしい。

 

 

気づいた時には、1ヶ月で11キロ太っていました。 

合計、アメリカで15キロ増量し、見た目もすっかり変わり果てました。

鏡の前の自分を見て、悔しさで涙が止まらなかったのを今でも覚えています。

 

2013年12月 留学リタイア 

 

1ヶ月でそのホストファミリーから逃げ、近くの学生アパートに住み始めました。

しかし、その頃には精神がボロボロで、学校に全くと言っていいほど行かなくなりました。

そして、過食症はひどくなるばかり。

コンビニへ行ってファミリーサイズのポテチとポップコーンを買い、2リットルのコーラを2本買う。そして部屋で映画鑑賞。これが最高。

 

罪悪感が増す毎日。もはや、あれだけ死ぬ気で頑張っていた英語の勉強をしていたあの頃の自分が、まるで別人のよう。

 

ある日、家族とスカイプした後、号泣しました。

スカイプを切った後、周りを見渡せば

散らかったジャンクフード

2ℓコーラのペットボトルのゴミの山
そして学校も行かずただ莫大な金を浪費するデブ。

 

涙で見送ってくれた家族への罪悪感よりも先に

「帰りたい。家族に会いたい。日本に帰りたい」

と思うようになったのです。

もう、気持ちは完全に切れていました。

 

この後、私がなんと言って両親を説得させ、帰国したのかは覚えていません。きっと、脳が辛い記憶だからって消したのかも……?

 

2014年 1月 ニート生活スタート & TOEIC 805点とる

 

感動の別れから、まさかこんなに早く家族と再会するとは…。

両親は暖かく迎えてくれました。 

こみ上げてきたのは罪悪感でした。

決して安くはないお金を無駄にしてしまった。

 

しかし、罪悪感から活力は生まれませんでした。

当時の私は、「ここで人生を終わらせたい」と思うくらい鬱になっていました。

 

そこから約2ヶ月間、ネトゲ廃人になります。

今思い返しても、この期間は一番辛かった。

ニートって、あんなに社会から冷たい目で見られるんだ、とわかったんです。

 

しかも過食症はまだまだ健在で、食べ物を夜な夜な探して吐きそうになるまで食べてました。体重はまだ増加するばかり。

そしてたまにFacebookを見ると、剣道で頑張っている友人たちや、アメリカで出会った人々の写真がずらり。やめてけろー。

 

 

そんなある日、ふと「結局あの留学で英語力どれくらい伸びたんだろ?」

と思ったのです。そしてためしにTOEICを受けてみました。

 

するとびっくり仰天。

留学前TOEIC400点台だったのが

TOEICが805点になってた。

www.homelessryugakusei.com

 

あの留学に、意味はあったんだ。

 

その事実が、私に少しだけ希望と活力を与えてくれました。

 

2014年 3月 バイトを始めるも、逆カルチャーショックでカウンターパンチ

 

徐々に精神も復活し始めました。

(o`・ω・´σ)σ < まずは社会に復帰しなければ!

 

そう考えた私は、とにかくアルバイトを始めました。
しかし、その社会復帰のためのアルバイトでもまたやらかしてしまいます。

 

俗にいう、逆カルチャーショックを受けたのです。

まさに留学生あるあるの代表例、日本の文化に戻れずに浮いてしまうイタイやつでした。

 

歯が浮くほど、今でも恥ずかしい黒歴史です。

 

2014年 8月 ヒューマン国際機構へ入学し、英語を勉強し直して留学リベンジへ

 

"あの留学には意味があった"

 

それが当時のモチベーションでした。

 

アルバイトも始め、徐々に社会に復帰し始めた私は、「留学にリベンジしたい!」と思い始めます。

 

ネットで1から留学をし直す方法を探し、行き着いた先がヒューマンアカデミーでした。
そこの国際機構、留学プログラムに加わり、クラスでネイティブの先生に教えられながら、英語力を上げつつ渡米への準備が始まります。

 

2014年12月 人生初の彼女ができ、人生って素晴らしいと思い始める。

 

当時、久々に好きな人がいました。というより、再会しました。

 

小学校時代の友人でした。いわゆる初恋の人ですね。照

そして、結果的に彼女が私を過食症から助けてくれました。

 

 

過食症のせいで体重が73キロオーバーのデブ。

(私の身長だと日本人の平均体重は60キロ)

 

「デブだけどあの人を振り向かせたい!!」

 

この時から、過食症を治す方法と本格的なダイエットを開始します。

 

出会ったのが夏の8月。そして、告白は12月にしました。

その4ヶ月で、12キロのダイエットに成功しました。

(このダイエット奮闘記だけでブログ一つ書けそう笑)

 

英語の勉強と留学の用意もしつつ、食事管理と運動も徹底しました。

愛の力ってすごいね。

 

告白はオーケーをいただき、晴れて人生初の彼女ができました。

 

 

2014年 5月 留学リベンジ開始 & 過食症克服

彼女もできてウハウハだった私は、精神状態も良好、勉強と食生活が安定し始めます。

 

留学先を、前回のシカゴではなくニューヨークに決めました。前回はシカゴに親戚がいるからという理由で渡米しましたが、今回は違います。

「ビジネスと文化の発信地・ニューヨークで、勉強したい!あと、なんかニューヨークってカッコいいから!」と思ったからです。

 

過食症とは、実は心の病気です。

新たな目標と、彼女という心のお薬をいただいた私は、気づけば過食症が治っていました。

 

それに気づいたのが渡米する飛行機の中でした。

「あれ?今回は俺機内にお菓子とか色々持ち込んでないなぁ。てか食べる量減った?もしかして」

 

過食症ほんっっっとに辛かった

過食症を意識すればするほど、その病は治ってくれませんでした。
しかし、「ダイエットしてあの子を振り向かせる」「もう一度留学してリベンジする」というゴールに向け動いていると、気づいた時に消えていました。

人生を充実させることが一番の治療法だったのかもしれません。

 

2014年 6月 モホークバレーコミュニティカレッジ入学

 

ニューヨークの北のど田舎に、"ソレ"はあったーーー。

 

「ん?あれ収容所?牧場?」

 

草原の地平線の彼方。ポツリと見えた、柵に囲まれた建物。

それは世界の中心であるニューヨークから切り離された、アウシュビッツ収容所。

 

学校へ向かうシャトルバスの中、私はガイドに聞いた。

 

ガイドはニッコリと笑う。

否。

 

(*゚▽゚*)「あれは YOU の学校だ YO」

 

(;゚д゚)「え?」

 

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ニューヨークって、こう、なんかもっと都会だと思っていたんです。

全く違った。

 

 

母さん

ニューヨークの99%は田舎だったよ。(遠い目)

 

脳内では、ショーシャンクの空にのアンディの入所シーンがずーっと再生されるのであった……。

 

2016年 5月 編入先をトーニーブルック大学に決める & オールAでコミカレを終える

 

入所入学から2年ーーー。

ど田舎すぎてやることがなかった私は、とにかくGPA(評定平均)をあげることに専念する毎日でした。

一度留学を失敗した経験を持つ私は、「一度緊張感が切れたら終わりだ。毎日勉強だ」と言い聞かせ、とにかく机に向かいます。

そのど田舎の学校モホークバレーは二年制の短大(コミカレ)で、そこから編入して四年生大学に入学するつもりでした。

 

アメリカの大学生は基本的に勤勉です。

が、しかしそれは上位4年生大学の話です。コミカレ程度では、基本的にガチで勉強する人はかなり少数でした。

だから、とにかく編入したかったんです。もっと、刺激のあるのある人に囲まれたかった。

 

編入する際、編入できる大学のレベルは全てGPAで決まります。

当時、私のGPA4.0つまりオールAで、世界屈指の大学の一つである、ニューヨーク大学にも合格しました。

が、奨学金が降りず断念。(ここほんと悔しかった)

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結果、編入先を、トーニーブルック大学に決めます。

トーニーブルック大学は世界的にもある程度上位の大学で、かつ学費が安く、理系に強い大学です。特に、プログラミングの分野の競争率が異様。

私はビジネス専攻で文系だったのですが、プログラミングにも興味がありました。

またニューヨークシティにも近く、「やっと思い描いてたニューヨークの生活ができる」と、入学を決意しました。

 

その学校から出所卒業する際、とーにかく嬉しかったのは覚えています。

 

2016年 6月 起業して成功した友人と出会う & 独立して生きてゆきたいと思い始める

 

日本に一時帰国し、幼馴染で高校を卒業して起業した友人と久々に会うと、彼はビジネスで成功し、大物になっていました。 

 

彼のストーリーを聞けば聞くほど、自分の小ささと考えの狭さに気付かされたのです。

そして、この頃から、自分の力で生きていく人たちに強い憧れ尊敬を抱き始めます。

 

2016年 8月 トーニーブルック大学入学

 

そして、現在。

私は、トーニーブルック大学に在学中です。

 

のどかで治安が良く、かつニューヨークシティも近いという、環境としてはベストな学校です。

また生徒も全体的に意識が高く、理系においては、ちらほら天才も見かけます。留学生も個性豊かで、一癖も二癖もある連中ばかり。(後々インビュー記事も更新していきますね)

 

この大学でビジネスを学びつつ、自分の力で生きていくために日々奮闘中です。

あとニューヨークシティも近い!(近いと言っても1時間半かかりますが)

 

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んでもって、NYでも剣道バリバリやってるで!
剣道部の副キャプテンをしています。

 

 

かなり長くなりました。

 

まぁ、オレって、こんな人間です。

 

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